まきばの里キャンプ場予定地には元田んぼと思われる耕作放棄地があります。放棄されて40年ぐらいは経っているらしいのです。

そこには、ヤナギ、マユミ、榛(ハン)の木、赤松などの大木やうっそうと茂った空木などがあちこちに立っています。そして、その半分以上は蔓(ツル)や蔦(ツタ)に覆われています。また、地面には乾燥しているところは笹やススキが、湿っているところは水草が生え、夏になれば胸の高さぐらいにまで茂っています。

しかも、水草が生えているところは、湿っているだけでなく、ひどいところになれば靴が10cmぐらいはまる沼となっています。ここまでくると和製?ジャングルと言いたくなるほど。夏など、鎌や刈払い機で伐り進めながらでないと前に進めません。

そして、その原因の一つが土砂に埋まったコンクリート製の水路なのです。耕作放棄より上流にある湿原から耕作放棄地を抜けて川まで何か所か曲がりながらつながっています。幅、深さとも50cm程度のそこそこの大きさです。上の水が直接耕作地(耕作放棄地)に流れ込まないように、水の流れをコントロールしていたのだと思います。

ところが長い年月が経ち、その曲がり角のところを起点に土砂で何mも埋まってしまっています。そのため、水路の途中から水が常態的にあふれ出し、耕作放棄地は水浸しです。そこは沼どころではなくほとんど湿地のような状態です。どこが地面かさえも分からないほどの倒れた草と新しく生えた草が入り乱れています。

そのような状態のため、耕作放棄地をキャンプ場にする手始めに、この水路を復活させようと思うのは自然なことだったともいます。この投稿は、その水路の復活の苦労話です。

最初に水路を見たとき、短い水路がたくさんあるのだろうと思いました。埋まっていない部分の水路がいろいろな方向を向いて複数あったからです。また、埋まっていると思われるところも単に土砂で埋まっているのでなく、その上に、草や場合のよっては空木、ヤナギなどの低く横に広がる木が覆っており、一体全体水路がどこから来てどこに行っているのかさっぱりわからなかったのです。

そこで、最初に始めたのが水路が土砂でおおわれていると思われる場所の伐木と草刈りでした。作業を始めたのが真冬(この年は暖冬で雪は少なかったですが)で雪も積もる中での作業でした。

水路があると思われる場所の上に立つと、雪で覆われた地面がぶよぶよと弾力があり、なんだか宙に浮いているような感じがします。雪を掻(か)いてみると、その下に蔓まみれの空木や、ヤナギの倒木から生えているヒコバエが雪の重みでたわみその下に横たわっていたのです。

それから、しばらくは、雪をかき、その下の木を伐って、雪の下から引きずり出す、という作業の繰り返しでした。その後、その下に生えている、枯れて倒れている水草をショベルで掘るという作業です。これを何か所かある水路の両端で行いました。このような作業を何日か行っていると、折れ曲がっている個所が見つかり始め、何か所か曲がっている一つの水路であるといことがわかってきたのです。

そして、一番大きく曲がっているのはここではないかという見当をつけて少し掘ってみると、水路の桝の上端部を見つけることができました。二人で、2時間ほどかけて掘ってみましたが、20cm程度掘るのがやっとでした。もうへとへとです。地面が固くショベルを足で押しても地面になかなか食い込まないのです。

そして、それでわかったことは、この桝は直角に水路が曲がっている場所であるといこと、そして、その先は1mぐらい急に下っているということです。

まず曲がっている判断した理由は、水路の上端部の4つ辺の内一つが無く(上から口が開いている)、その方向が流れてきた方向の左側の辺だったため左に曲がっていると判断できました。そして、その先1mぐらいのところで、1mぐらい下がる土手になっています。そのため、桝もしくは桝の直後で水路が1m下がっていると判断したのです。

しかし、腰に力が入れる高さで掘ってへとへとになっています。さらに掘り進めることは、人間業でできるとは思えません。もともと、春になれば油圧ショベルを購入する予定でいたので、これは油圧ショベルの作業だろうということで、一旦、春まで水路堀りの作業を中断することにしたのです。

ところが、実際には油圧ショベルの到着を待たずに、水路の復活ができてのです。そのあたりの経緯を次回から書きたいと思います。

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